中川一郎の経歴は、泥臭い反骨精神と圧倒的な実行力に満ちていました。1925年に北海道広尾郡大樹町の開拓農家に生まれ、東京帝国大学農学部を卒業後、北海道庁を経て農林省に入省。1963年の衆議院議員総選挙で旧北海道5区から初当選を果たします。
1973年には石原慎太郎や渡辺美智雄ら若手・中堅のタカ派議員を結集し、政策集団「青嵐会」を結成。自民党の長老支配に公然と弓を引く過激なパフォーマンスで全国的な知名度を獲得しました。1977年の福田赳夫内閣では農林水産大臣として初入閣を果たし、難航を極めた日ソ漁業交渉でソ連の強硬姿勢を相手に一歩も引かず渡り合った姿は、国民に強いインパクトを与えました。
1979年には自らの政策集団「自由革新同友会(中川派)」を旗揚げ。そして1982年11月、中曽根康弘、河本敏夫、安倍晋太郎が激突した自民党総裁予備選挙に、弱小派閥を率いながら果敢に出馬を決断します。結果は惨敗に終わったものの、首相の座へ向けた執念を強烈に誇示しました。しかし、この無謀とも言える総裁選挑戦が、派閥の財政を破綻寸前に追い込み、巨大派閥からの猛烈な切り崩し工作を招く致命的な打撃となったのです。