なぜ札幌に「花魁」の悲惨な伝承が根付いているのでしょうか。その根底には、明治初期の北海道開拓史における薄野遊郭の誕生と遊女たちの過酷な生活が深く関わっています。
1871年(明治4年)、開拓判官・岩村通俊の主導によって、過酷な労働に従事する開拓使の男たちを北の大地に定着させる目的で遊郭が建設されました。本州から集められた女性たちの多くは、極貧の家庭から前借金で身売りされてきた過酷な境遇にありました。
北海道の厳しい寒波、劣悪な衛生環境、結核や梅毒といった感染症の蔓延により、若くして命を落とす遊女が後を絶ちませんでした。自由な外出すら許されなかった彼女たちの遺体は、身寄りもないまま粗末に葬られるケースも少なくなかったと記録されています。
ススキノの一角にある成田山札幌別院新栄寺や豊川稲荷札幌別院には、過酷な運命に散った遊女たちの霊を慰めるための供養碑が現在もひっそりと佇んでおり、彼女たちが歩んだ過酷な歴史の証左となっています。