坂の名称の由来には、さらに深い歴史のロマンが秘められている。天下人である豊臣秀吉の正室・ねね(高台院)が、高台寺から清水寺へと参拝する際、この坂を通って子供の無事な誕生と健やかな成長を祈願したとされる。このことから「安産を祈る坂」、すなわち「産寧坂」と名付けられたのが正式な由来とする説が最も有力だ。
歴史の表舞台に度々登場するこの場所は、大同3年(808年)に開削されたという記録も残る。現在、この周辺一帯の歴史的街並みは文化庁によって「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されている。電線の地中化や景観保護の取り組みによって守られてきた幕末から明治期の面影は、日本の歴史観光を象徴する極めて貴重な文化遺産として未来へ受け継がれている。