海軍での従軍体験、そして実弟・良介氏(海軍少尉)の特攻戦死という身内の悲劇は、中曽根氏を「戦後日本の再建」へと突き動かす絶対的な推進力となりました。復員後、昭和22年(1947年)の衆議院議員総選挙に28歳で初当選した際、白ネクタイを締め青年将校を思わせる姿で辻立ちに臨んだ姿は伝説として語り継がれています。
政治家としての中曽根氏の政策には、海軍時代の死生観が明確に反映されていました。
- 自主防衛基盤の確立:防衛庁長官時代に掲げた自主防衛構想や、首相就任後の「防衛費対GNP1%枠」の撤廃など、自立した国家安全保障の整備に注力しました。
- 日米同盟の深化:「不沈空母」発言に象徴される西側陣営としての確固たる安全保障戦略を展開し、国際社会での日本の存在感を高めました。
- 1985年8月15日の靖国神社公式参拝:戦後首相として初となる公式参拝を決断。内外からの反発を浴びつつも、「散華した戦友たちに対する国家の礼尽くし」という個人的な痛恨と公的責任の狭間で下した歴史的判断でした。