日本で大ブレイクを果たす前、ビビアン・スーは母国・台湾ですでに注目を集める存在でした。1990年、台湾のテレビ局が主催した美少女コンテスト「台湾美少女芸能コンテスト」でグランプリを獲得し、アイドルグループ「少女隊」のメンバーとして芸能界入りを果たします。
グループ解散後はモデルや女優として活動し、映画出演などを通じてアジア圏で徐々に知名度を拡大。1995年、活動の場を日本へと広げる決断を下します。来日当初は日本語が話せず、孤独やカルチャーショックに直面しながらも、持ち前のガッツで猛勉強を重ねました。
バラエティ番組で見せる過酷なチャレンジ企画や過酷なロケにも常に全力投球。単なる「可愛い外国人タレント」にとどまらず、プロ意識の高さと周囲への気配りを忘れない人柄があったからこそ、彼女はトップスターの座を確固たるものにしました。