天津の日本公館から身を隠すように東北部へと移送された溥儀にとって、満州国への参加は苦渋の決断であると同時に、千載一遇の好機でもあった。1912年の退位以来、奪われた清朝の栄光を取り戻すことだけが彼の生きる糧となっていたからだ。しかし、彼が足を踏み入れた先は、理想の王国などではなく、徹底的に管理された政治の檻に他ならなかった。
関東軍は、溥儀の持つ圧倒的な「血統の威光」を最大限に利用しながらも、実際の行政権や軍事指揮権からは彼を完全に排除した。実権を持たないトップとして鎮座させられた溥儀の葛藤は凄まじく、側近に漏らした怨嗟の言葉は現代の史料にも生々しく残されている。妥協の末に勝ち取ったはずの「執政」の座は、彼の理想を砕く最初の罠だったと言える。