収容所を出所した溥儀の晩年は、それまでの波乱万丈な日々が嘘のように穏やかで素朴なものでした。周恩来首相の配慮により、溥儀は北京植物園での勤務を命じられます。仕事内容は温室での植物の栽培や水やり、入場券の販売などでした。かつて数億人の頂点に立った皇帝が、一市民として土をいじり、市民に笑顔でチケットを手渡す姿は、まさに激動の20世紀を象徴する光景でした。
その後、1964年には中国人民政治協商会議の全国委員(文史資料研究員)に任命され、自身の記憶をもとに歴史資料の編纂作業に従事します。私生活では1962年に李淑賢と再婚し、庶民として平凡な家庭の温もりを初めて味わいました。
しかし、晩年は病魔と時代の荒波が再び彼を襲います。1966年に始まった文化大革命の嵐の中、元皇帝という出自から紅衛兵の標的となる危機に晒されましたが、周恩来の直接の保護指示によって辛うじて難を逃れました。そして翌1967年10月17日、溥儀は北京の病院で息を引き取りました。
公式に記録された溥儀の死因は腎臓がん(尿毒症の合併症)です。享年61歳。あまりにもドラマチックな生涯を駆け抜けた男の最期は、激動の文革の喧騒の中、ひっそりとした幕切れでした。