明治天皇の誕生日はなぜ文化の日に?11月3日の祝日改称と歴史の真相

明治天皇の誕生日はなぜ文化の日に?11月3日の祝日改称と歴史の真相

明治天皇の誕生日はなぜ文化の日に?11月3日の祝日改称と歴史の真相について知っておくべき 理由を厳選して解説いたします。

そもそも、なぜ11月3日がそこまで国民にとって特別な日付だったのでしょうか。その根底には、幕末の動乱から近代国家への脱皮を率いた明治天皇の生涯と功績に対する、当時の国民の絶大な敬慕がありました。

明治天皇(諱:睦仁、幼称:祐宮)は、1852年11月3日(嘉永5年9月22日)に京都で誕生しました。わずか14歳で皇位を継承し、1868年の東京行幸(御東幸)を経て、日本の首都機能を東京へと移転。五箇条の御誓文の発布、大日本帝国憲法の制定、日清・日露戦争の指導など、欧米列強の脅威に晒されていた日本を急速に近代化へと導いた象徴的存在でした。

在位中、天皇の誕生日は「天長節」として祝われていました。1912年(明治45年)に明治天皇が崩御すると、天長節は大正天皇の誕生日(8月31日)へと移り、11月3日は一時的に平日となります。しかし、国家の近代化を成し遂げた天皇を追慕する国民の声は衰えず、大正から昭和初期にかけて民間や帝国議会から「明治記念日」の制定を求める請願が相次ぎました。

その結果、1927年(昭和2年)の「休日ニ関スル件(昭和2年勅令第25号)」により、11月3日は「明治節」として祝日に返り咲きました。新年を祝う四方節、初代神武天皇即位を祝う紀元節、現職天皇の誕生日である天長節と並び、「四大節」の一角として国民に最も親しまれた祝日となったのです。

山本 拓海
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山本 拓海

デジタルガジェットとスマート家電の検証記事を多数執筆。失敗しないモノ選びを提案します。