麻生家の歴史は、幕末から明治初期の九州・筑豊の地から始まります。藩政時代は庄屋を務めていた家柄でしたが、一族を巨大財閥へと押し上げた立役者は、麻生太郎氏の曾祖父である麻生太吉(初代)です。
1872年、太吉は石炭採掘事業に着手。筑豊炭田の開発が進む波に乗り、貝島・安川と並ぶ「筑豊御三家」の一角として莫大な富を築きました。太吉は単なる炭鉱主に留まらず、鉄道、銀行、電力事業へ果敢に投資し、衆議院議員や貴族院多額納税者議員にも選出されて中央政界への足がかりを作りました。
戦後、エネルギー革命(石炭から石油への転換)によって全国の炭鉱が相次いで閉山に追い込まれる中、父である麻生太賀吉氏は卓越した経営判断を下します。1950年代からいち早く麻生セメントの創業を推進し、セメント・生コンクリート事業へのシフトを断行。さらに地域医療の中核となる「飯塚病院」の近代化と教育事業の育成を進めました。
太賀吉氏は吉田茂の側近として政財界のパイプを強固にし、吉田の長女・和子氏を妻に迎えました。この婚姻が、地方の優良企業集団であった麻生家を、国家の中枢と直結する「華麗なる一族」へと飛躍させる歴史的転換点となったのです。