ネット上では「笑点でつまらないのだから、落語家としても実力不足に違いない」という乱暴な論調が長年叫ばれてきました。しかし、寄席の現場や落語通の間における実際の評価は、テレビの印象とは大きく異なっています。
落語という芸能は、15秒から30秒で笑いを取りに行くテレビ用の短距離走(大喜利)と、15分から40分かけて登場人物の心情や長閑な情景を描き出すマラソン(古典落語)とでは、使っている筋肉が根本から異なります。浅草演芸ホールや鈴本演芸場などの寄席に出演する三平の高座を実際に観察すると、持ち前の人当たりの良さと温かみのある高座姿は、生の高座を楽しみに来ている観客から決して悪くない反応を得ています。
特に『源平盛衰記』や『時そば』といった演目では、初代譲りの明るい語り口を意識しながらも、基本に忠実な滑舌と端正な所作を見せています。「大喜利のような瞬発的な毒舌合戦は不器用だが、一人でじっくりと噺の世界を紡ぐ分には安定している」というのが、長年寄席に通う演芸ファンの偽らざる現場の声です。テレビ画面の過剰な演出と編集によって「下手」というレッテルが一面的に固定化されてしまった現象は、メディアの功罪と言えます。