巨人の永久欠番を語る上で欠かせないのが、戦前・戦中を駆け抜けた2人の英傑だ。背番号14を背負った沢村栄治は、力強いストレートと鋭く落とすカーブで全米選抜をもきりきり舞いさせた。
しかし、3度にわたる徴兵の末、太平洋戦争の最中に台湾沖で戦死。弱冠27歳の命だった。彼の名を冠した「沢村賞」は、今なお投手最高峰の栄誉として受け継がれている。
一方、背番号4の黒沢俊夫は、背番号制度が不安定だった時代に主将を務め、チームの精神的支柱だった。1947年、病魔によって突如この世を去った際、遺言のように残されたチームへの献身を称え、球団は沢村の14番と黒沢の4番を同時に永久欠番へ指定した。この決断こそが、ジャイアンツにおける欠番制度の起点となったのだ。