巨匠・横山大観の真相|なぜ富士山と朦朧体は今なお人々を魅了するのか

巨匠・横山大観の真相|なぜ富士山と朦朧体は今なお人々を魅了するのか

巨匠・横山大観の真相|なぜ富士山と朦朧体は今なお人々を魅了するのかの注目ポイントを分かりやすくまとめてご紹介します。

横山大観と聞いて真っ先に思い浮かぶのは、気迫に満ちた富士山の雄姿と、淡く幻想的な空気感をたたえた絵肌でしょう。しかし、その根底にある美学は、単なる郷愁や伝統回帰ではありませんでした。大観にとって絵画とは、外見の形を写し取る作業ではなく、目に見えない「大気」や「気魄(きはく)」を画面に定着させる闘いそのものでした。

彼が生涯で遺した富士山の作品数は、確認されているだけでも2,000点近くに達します。大観自身、当時の手記や談話において「富士を描くということは、己の心を描くことだ。心が澄んでいなければ、富士の気高さは到底描けない」という趣旨の告白を遺しています。朝霧に包まれる霊峰、群青と金泥で燃え立つ富士、そして水墨の濃淡のみで無限の奥行きを表現した富士――これらはすべて、画家の内面と自然が火花を散らした精神の肖像画でした。

そして、その精神性を視覚化するために生み出されたのが、後に「朦朧体(もうろうたい)」と呼ばれる独自の描法です。大観と盟友・菱田春草は、それまでの日本画の絶対的掟であった「墨の輪郭線(骨法)」をあえて封印しました。刷毛を用いて絵の具をぼかし、絵絹の裏からも彩色を施すことで、東洋画には存在しなかった「光」と「空気の層」を表現しようとしたのです。当時、日本の画壇からは「勢いのない幽霊画」「霞がかかったような失敗作」と猛反発を受けましたが、この技法こそが、日本画を西洋近代絵画の潮流と対等に渡り合える表現へと押し上げる決定的な転換点となりました。

林 結菜
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林 結菜

エンタメ・カルチャー業界の深掘り取材を得意とし、現場のリアルな声をお伝えします。