1600年、関ヶ原の戦い。吉継が配備されたのは、松尾山に陣を敷く小早川秀秋の動向を監視・牽制できる最も危険な最前線であった。吉継は最初から秀秋の寝返りを予測していた。歴史的文献が伝える陣形配置の解析から、彼が小早川陣営の即時裏切りに対応できるよう、二重三重の「返り討ち」用の防衛線を準備していたことがわかっている。
激戦の最中、予想通り小早川軍の一万を超える大軍が松尾山を駆け下り、吉継の陣へ襲いかかった。圧倒的客勢の差でありながら、吉継率いる軍勢は動揺することなく激しく反撃。一時は小早川軍を押し戻すほどの鬼神の如き奮戦を見せた。
脇坂安治らの連鎖的な裏切りによって包囲され、ついに万事休すとなった際も、吉継は敵に首を渡さぬよう側近の湯浅隆貞に介錯を命じ、自害を遂げた。最期まで誇りと計算を捨てなかったその姿勢は、関ヶ原の戦いの中で最も凄惨でありながら美しく異彩を放っている。