『古事記』の完成からわずか8年後、720年に完成した『日本書紀』の存在は、古代史最大の謎の一つである。なぜ、ほぼ同年代に二つの対照的な歴史書が作られたのか。中国の正史スタイルを模した『日本書紀』が、対外的な外交文書・国家的公式記録としての色彩を強く帯びているのに対し、『古事記』は皇室の内目的な系譜の保証と神話的権威の確立を目指したとされる。
表現技法においても、両者の違いは際立つ。『日本書紀』が純粋な漢文で書かれているのに対し、『古事記』は日本語の発音や文法を漢文の枠組みに無理やり落とし込んだ変体漢文で記されている。このスタイルの選択こそが、当時の大和朝廷が抱えていた文化的な葛藤と政治的アイデンティティの探求を如実に物語っている。