バッハの生涯には、優等生的な大作曲家のイメージを根底から覆す、驚くべき武勇伝やトラブルがいくつも刻まれています。その最たる例が、若き日の「街頭乱闘事件」と「刑務所への投獄事件」です。
20歳の頃、アルンシュタットの教会オルガニストを務めていたバッハは、聖歌隊の技術不足に耐えかね、ファゴット担当の生徒を「未熟なへぼ奏者」と公然と罵倒しました。これに激怒した生徒が夜道でバッハを待ち伏せし、棍棒を手に行く手を阻む事態に発展します。普通なら逃げ出すところですが、血気配盛な若きバッハは躊躇なく腰の短剣を抜いて応戦。暗闇の中でつかみ合いの大乱闘を演じ、市議会から厳しく懲戒処分を受ける騒ぎとなりました。
さらに32歳の時、仕えていたヴァイマル宮廷からの移籍を巡って前代未聞の投獄劇を起こします。待遇や人間関係に不満を募らせていたバッハは、ケーテン宮廷への転職を希望しましたが、領主のヴィルヘルム・エルンスト公爵は辞職を拒否。納得のいかないバッハが執拗かつ激しい口調で辞職を迫り続けたため、激怒した領主によって身柄を拘束され、約4週間にわたって刑務所に収監されてしまいました。
驚くべきは、投獄中の牢獄の中でもバッハはまったく反省することなく、狭い獄中で『オルガン小曲集』の作曲に没頭していた点です。権力に屈しない不屈の頑固さと、どんな極限状態でも創作を止めない凄まじい執念が如実に表れた出来事でした。