上京を果たした若き日の彼は、大川興業の門を叩く。総裁・大川豊のもとで過激なパフォーマンスに磨きをかけ、一気に頭角を現した。テレビ朝日の深夜番組で見せた体を張った危険な笑いは、視聴者に強烈なショックを与え、一躍お笑い・芸能界の異端児としてその名を全国に轟かせた。
「嫌われ芸人」として猛烈なバッシングを浴びながらも、決してスタイルを崩さなかった。スタジオの観客を恐怖に陥れ、共演者を置き去りにする圧巻のパフォーマンス。しかし、カメラが回っていない場所での彼は、誰よりも礼儀正しく頭を下げる青年だったという。この極端なギャップこそ、家風に根ざした倫理観とプロ意識の表れだった。