危機の渦中で舵取りを担っていたのが、当時の中澤敏夫社長である。自己資本の毀損が急速に進む中、資金繰りや資本補強の模索がギリギリまで続けられた。しかし、市場の悪化スピードは経営陣の想定をはるかに超えていた。外部からの出資取り付け交渉も難航を極め、自力再建の道は絶たれた。
監督官庁である金融庁も事態を極めて重く受け止めていた。行政処分や早期是正措置の適用が検討される中、自発的な法的整理への移行が選択された。当時の会見の模様や速報は日本経済新聞をはじめとする主要メディアで大きく取り上げられ、金融市場に激震が走った。名門保険会社の倒産は、監督官庁にとっても保険監督体制の根本的な再構築を迫る出来事となった。