Q1:大犯三箇条に「一般民衆の民事裁判」は含まれていたのですか?
A1:含まれていません。大犯三箇条はあくまで国家反乱(謀反)や凶悪殺人といった重大刑事事件の犯人捜索・逮捕に特化した警察権であり、土地争いや金銭トラブルなどの民事裁判権は荘園領主や幕府の政所・問注所が握っていました。
Q2:守護は各大名のように、最初から自分の城を持って領国を支配していたのですか?
A2:いいえ、初期の鎌倉守護の多くは鎌倉に在住しており、現地の任務は「守護代」と呼ばれる代理人を派遣して行わせていました。一国を領主として自律支配するようになったのは、室町時代以降の守護大名になってからのことです。
Q3:なぜ「大犯箇条」ではなく「大犯三箇条」と呼ぶのですか?
A3:古代律令制における「八虐」など重罪の系譜を引きつつ、鎌倉幕府が治安維持のために守護が管轄すべき重大犯罪を「3つの箇条」として明確にリストアップしたことに由来します。文脈によっては単に「大犯条々」と呼ばれる史料も存在します。