服役した定は、模範囚として刑務所生活を送り、1940年の紀元二千六百年特別恩赦によって減刑され、1941年5月に刑期満了で出所しました。しかし、世間が「お定」を放っておくことはありませんでした。阿部定 その後の足跡は、戦前・戦後の混乱と重なり合い、波乱に満ちていました。
出所後は偽名を使って暮らしていましたが、戦後は無頼派の文豪・坂口安吾と対談を行ったり、自伝の出版、さらには浅草の劇場で自身の事件を題材にした舞台劇「昭和一代女」に主演するなど、一時は時代のアイコンとして公の場に立ち続けました。その後、1960年代には東京・浅草や銀座で「若竹」というおにぎり屋・居酒屋を経営し、多くの常連客に親しまれていたことが関係者の証言として残っています。
しかし、阿部定 晩年と現在の消息には大きなミステリーが残されています。1970年頃、60代半ばを迎えていた定は、周囲に何も告げず突如として店をたたみ、そのまま失踪しました。伊豆の老人ホームに入居した、あるいは近畿地方の寺院で出家して静かに余生を終えたなど様々な噂が飛び交いましたが、公的な戸籍上の記録や正確な死亡年月日、墓所の所在は今なお判明していません。
一方、事件そのものは1976年、大島渚監督・藤竜也主演の国際共同制作映画『愛のコリーダ』として映像化されました。性愛の極限と人間の実存を描いた同作はカンヌ国際映画祭などで世界的な絶賛を浴び、単なる犯罪の記録を超えて、国境を越えた普遍的なアヴァンギャルド芸術の神話として定着することになりました。