クーロン城の真実と現在|東洋の魔窟と呼ばれた九龍城砦の光と影

クーロン城の真実と現在|東洋の魔窟と呼ばれた九龍城砦の光と影

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九龍城砦が「法の及ばない魔窟」と化した背景には、19世紀末のアヘン戦争以降に生じた極めて複雑な外交的ねじれが存在します。もともとこの地は、1847年に清朝政府がイギリス軍を監視・防衛するために築いた軍事要塞(九龍寨城)でした。1898年、イギリスが新界地区を99年間の期限付きで租借する「展拓香港界址専条」を締結した際、清朝側は外交官や住民の管轄権を主張し、城砦内のみを例外として清朝の管轄下(飛地)に残す特約を取り付けました。

しかし、翌1899年にイギリス軍が城砦を急襲して清朝官吏を追放したことで、主権問題は泥沼化します。中国側は管轄権を放棄せず、一方でイギリス側も完全な施政権を行使できないという「主権の空白地帯」が誕生しました。現地ではこれを「イギリス政府も管理せず、中国政府も干渉せず、香港警察も手を出せない」状態を指して「三不管(サンブーグァン)」と呼びました。

第二次世界大戦後、中国本土の内戦や混乱から逃れてきた難民がこの治外法権エリアに雪崩れ込み、急速にスラム化が進行しました。1950年代から1970年代にかけては、香港の暗黒街を牛耳る秘密結社「三合会(黒社会)」が城砦内に拠点を築き、アヘンやヘロインの密売所、違法カジノ、売春宿、犬肉料理店などが白昼堂々と営業する無法地帯としてその悪名を世界に轟かせたのです。

井上 凛
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井上 凛

心身ともに健康で持続可能なライフスタイルをテーマに、最新のウェルネストレンドを発信中。