1573年8月、織田軍の苛烈な総攻撃により、北近江の雄・浅井家は本拠地である小谷城で潰走した。浅井長政は自害を選び、その母・小野殿や幼き子供たちもまた、追手の眼から逃れる術を模索した。しかし、覇王・織田信長が最も執拗に捜索を命じたのが、長政の正統な男子であった。
当時、戦国大名にとって男児の存在は「家名再興の火種」そのものである。どれほど幼少であっても、家臣団が担ぎ上げれば即座に反信長勢力の象徴となり得た。そのため、信長は長政の娘たち(三姉妹)の命は助けたものの、男子に対しては徹底的な抹殺命令を下したとされる。この冷酷な時代の論理こそが、一人の少年の運命を決定づけたのだった。