映画関係者や撮影現場のスタッフ取材から浮かび上がるのは、互いにプロとして自立した距離感を保ち続ける佐藤浩市氏と寛一郎氏の姿です。
寛一郎氏が俳優の道を志した際、佐藤浩市氏は反対も賛成もせず、「そうか、自分で決めたならやれ」とだけ告げたと伝えられています。寛一郎氏が本名の下の名前のみを芸名にしたのも、「佐藤浩市の息子」「三國連太郎の孫」という強烈な看板に頼らず、一人の表現者として勝負したいという本人の強い意志によるものでした。
2026年公開の映画『一度も撃ってません』やその後の共演作の現場において、佐藤浩市氏は撮影合間に息子へ演技指導を行うような素振りを一切見せませんでした。当時の現場スタッフは次のように証言しています。
「浩市さんは現場では完全に『共演俳優のひとり』として寛一郎さんに接していました。アドバイスを求められれば応じるものの、自分から口を挟むことは絶対にしない。あれは過保護の真逆を行く、最も厳しいプロとしての愛情表現だと感じました」
公の特番インタビューでも、寛一郎氏は「父の存在は意識せざるを得ないが、現場に入れば関係ない」と語っており、過度な甘えを排除した健全な関係性が築かれています。