Q1:西園寺公望と立命館大学の創立者としての関係はどうなっていますか?
A1:西園寺公望自身が1869年に私塾「立命館」を創始しましたが、現在の立命館大学の実質的な創立事務を担ったのは、西園寺公望の秘書官を務めていた中川小十郎(京都法政学校を創設)です。西園寺公望はその精神的祖・学祖として仰がれており、大学名への「立命館」継承を快諾し、自筆扁額の寄贈や蔵書の寄贈を行うなど生涯にわたり母体校を全面支援しました。
Q2:なぜ「最後の元老」と呼ばれているのですか?他の元老との違いは?
A2:明治憲法下で天皇を輔弼し首相を推奏した元老(伊藤博文、山県有朋、黒田清隆、松方正義、井上馨ら)の多くは薩摩・長州の武士出身でした。西園寺公望は公家出身として唯一の例外であり、大正13年(1924年)に松方正義が死去したことで生存する唯一の元老となったため「最後の元老」と呼ばれます。昭和15年(1940年)に90歳で彼が没したことで、元老という存在そのものが歴史の幕を閉じました。
Q3:静岡県清水の「興津坐漁荘」とはどんな場所ですか?現在は見学できますか?
A3:大正9年(1920年)、健康上の理由と政界の喧騒を避けるため、風光明媚で温暖な静岡県庵原郡興津町(現・静岡市清水区)に建てられた数寄屋風の名建築です。昭和初期の重臣会議や首相指名の重要な舞台となりました。現在、当時の建物は愛知県犬山市の「博物館明治村」に移築・保存されており内部を見学できるほか、静岡市清水区の原跡地にも忠実な復元建築が整備され一般公開されています。
Q4:西園寺公望の内閣総理大臣としての代表的な業績は何ですか?
A4:第1次内閣(1906–1908年)では、日露戦争直後の国家運営を指揮し、鉄道国有法を成立させて全国の主要鉄道を国有化し近代輸送インフラの骨格を築きました。第2次内閣(1911–1912年)では行財政整理と緊縮財政を推し進め、陸軍の2個師団増設要求を拒絶して自ら退陣することで、軍部の過大な要求に毅然とノーを突きつけました。