朱雀天皇の知られざる生涯|平将門の乱と24歳電撃譲位の真相

朱雀天皇の知られざる生涯|平将門の乱と24歳電撃譲位の真相

朱雀天皇の知られざる生涯|平将門の乱と24歳電撃譲位の真相にまつわる興味深い視点を分かりやすく発信ます。

朱雀天皇の生涯を時系列で俯瞰すると、その治世がいかに密度の濃い激動期であったかが明確になります。

年代主な出来事・歴史的背景延長元年(923年)醍醐天皇の皇子・寛明親王として誕生。保明親王の急逝を受け、生後まもなく皇太子に冊立される。延長8年(930年)清涼殿落雷事件の直後、醍醐天皇の譲位により8歳で第61代天皇に即位。藤原忠平が摂政に就任。承平5年〜天慶3年
(935年〜940年)
平将門の乱。東国で将門が「新皇」を自称するも、平貞盛・藤原秀郷らにより討ち取られる。天慶2年〜天慶4年
(939年〜941年)
藤原純友の乱。瀬戸内海から大宰府にかけて暴れ回った純友軍を小野好古らが鎮圧(承平天慶の乱の終息)。天慶9年(946年)健康不良と男子不在を理由に、24歳で同母弟の村上天皇へ譲位。朱雀院(上皇)となる。天暦6年(952年)病状悪化により仁和寺にて出家。同年に30歳の若さで崩御。

譲位後の朱雀上皇は、朱雀院御所に隠棲して静かな余生を送り、仏道修行に専念しました。しかし、病弱な体質が好転することはなく、天暦6年(952年)初頭に病状が急激に悪化します。死期を悟った上皇は仁和寺へ移り、受戒して出家しました。

朱雀天皇の死因は、長年患っていた重度の内臓疾患や眼病に伴う衰弱死(病死)と記録されています。出家からわずか数ヶ月後の天暦6年5月、満28歳(数え年30歳)という若さで帰らぬ人となりました。

山崎 陸
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山崎 陸

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