勘九郎の「死因」が検索される最大の根源となっているのが、父である十八代目中村勘三郎の死因と闘病の歴史です。伝統芸能の枠を飛び越え、平成中村座の創設やコクーン歌舞伎など、日本のエンターテインメント界に革命を起こし続けた天才役者の死は、あまりにも唐突でした。
勘三郎は2012年6月、定期検診で食道がんが見つかったことを公表しました。早期発見ではあったものの、進行を防ぐため同年7月に約12時間に及ぶ大手術を受けました。手術自体は成功したと発表され、一時は復帰への希望が広がったものの、術後に肺の合併症を発症します。
肺炎の悪化から集中治療室(ICU)での治療が続き、人工呼吸器を装着しての懸命な闘病が行われましたが、最終的には急性呼吸窮迫症候群(ARDS)を発症。肺の機能が著しく低下し、2012年12月5日午前2時33分、57歳という若さで帰らぬ人となりました。
このあまりに衝撃的なニュースは列島を震撼させ、歌舞伎ファンのみならず日本中の記憶に深く刻まれました。その強い記憶が、現在の中村勘九郎という名前に投影され、ネット検索上で混同を引き起こす決定的な理由となっています。