まず、第一段における秋の章段の原文と、そのリズム感を忠実に再現した現代語訳を確認します。『枕草子』諸本(三巻本・能因本など)において一部の用字に「烏/鳥」「飛びゆく/飛び急ぐ」などの異同が見られますが、ここでは高校国語の教科書やWikisource等の標準的な校訂本文を底本とします。
【原文】
秋は夕暮れ。夕日のさして山の端いと近うなりたるに、烏の寝どころへ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど飛び急ぐさへあはれなり。まいて、雁などの連ねたるが、いと小さく見ゆるは、いとをかし。日の入り果てて、風の音、虫の音など、はた言ふべきにあらず。
【現代語訳】
秋は、なんといっても夕暮れが良い。夕日が鮮やかに射して、山の稜線に今にも沈みそうに近づいているころ、烏がねぐらへ帰ろうとして、三羽四羽、あるいは二羽三羽と連れ立って飛び急いでいく様子までもが、しみじみと心に染みる。言うまでもなくさらに素晴らしいのは、雁などが列を作って飛んでいるのが、はるか遠くにとても小さく見えている情景で、これこそ実に興趣がある。やがて日がすっかり沈んでしまってから聞こえてくる、風の吹きわたる音や、マツムシ・スズムシなどの虫の鳴き声などは、また改めて言葉で言い表すまでもなく素晴らしい。
情景の推移を追うと、清少納言の視線が「夕日の光(広角)」から「近くを飛ぶ烏(中景)」、さらに「空の彼方に連なる雁(遠景)」へとズームし、日没とともに「風と虫の音(聴覚空間)」へと無駄なくシフトしていることがわかります。千年以上前のアナログな時代に、極めて高度な映像的・音響的モンタージュが完成していた点に驚かされます。