誰もが永遠の強さを信じたウルフにも、時代の移り変わりと引き際の時が訪れます。1991年(平成3年)夏場所初日、新進気鋭の貴花田(後の横綱・貴乃花)との歴史的一戦で敗れると、3日目に貴闘力に敗れた直後、現役引退を表明しました。
引退記者会見で絞り出すように語った「体力の限界……!気力もなくなり、引退することになりました」という言葉は、日本中のお茶の水の涙を誘い、昭和から平成を象徴する名言として今も語り継がれています。全盛期の強さを自ら知るがゆえの、あまりにも潔く誇り高い決断でした。
現役引退後は年寄「陣幕」を経て、1992年に師匠の定年に伴い「九重」を襲名。九重部屋の師匠として後進の指導にあたりました。元大関の千代大海をはじめ、千代天山、千代白鵬など数多くの関取を育成し、名門部屋の看板を堂々と守り抜いたのです。