指導者としての実績もさることながら、現役時代の陸奥親方は昭和から平成の大相撲を代表するスーパースターの1人でした。入門当時は細身で目立たない存在でしたが、徹底したウエイトトレーニングと猛稽古で鋼のような肉体を作り上げ、「和製ヘラクレス」の異名で絶大な女性人気と男性ファンの支持を獲得しました。
30歳を迎えてからの大関昇進という遅咲きの苦労人であり、左四つからの豪快な下手投げや力強い吊り出しで大型力士を土俵に転がす姿は、相撲ファンの語り草となっています。1991年初場所では14勝1敗で見事に幕内最高優勝を果たしました。
現役引退後は9代陸奥を襲名し、師匠として横綱・鶴竜や大関・霧島を育成。さらに日本相撲協会内では理事・事業部長などの要職を歴任し、相撲人気の回復や本場所運営の近代化に大きく貢献しました。常に協会の中心で重責を果たし、歴代の陸奥親方の中でも屈指の功績を残した名伯楽です。