御岩神社が「日本最強」と称される最大の論拠は、山全体で祀られている神仏の数が実に188柱に及ぶという点にあります。日本全国に神社は数あれど、ひとつの霊山境内にこれほど過密に神々や仏が同居している聖地は他に類を見ません。この特異な構造は、古代から近世にかけて積み重ねられた重層的な歴史の産物です。
神社の公式記録および発掘調査データによると、御岩山の麓からは縄文時代晩期の祭祀遺跡や石器・土器が出土しており、文字を持たない太古の時代から自然崇拝・磐座(いわくら)信仰の対象であったことが証明されています。さらに、西暦721年に編纂された『常陸國風土記』には、「浄らかな山かびれの高峰に天つ神鎮まる」と明確に記されており、1300年以上前から国家的な霊山として崇められていました。
中世に入ると山岳信仰と修験道が融合し、関東屈指の行場として発展します。江戸時代には水戸藩の祈願所となり、第2代藩主・徳川光圀(水戸黄門)によって大日如来を本地仏とする「御岩大権現」へと再編されました。光圀公は仏教と神道の調和を重んじ、山内各所に諸仏諸神を配祀したため、神仏習合の一大霊場が完成したのです。のちに第9代藩主・徳川斉昭による神仏分離令を経て唯一神道へ改められましたが、明治の廃仏毀釈の嵐を奇跡的に乗り越え、現在も大日如来像や阿弥陀如来像が境内に手厚く奉斎されています。つまり「188柱」とは、縄文の精霊信仰、記紀神話の神々、修験道の開祖、そして仏教の如来・菩薩が幾重にも折り重なった歴史の結晶なのです。