本作の土台にあるのは、2016年に発生した相模原障害者施設殺傷事件という痛切な記憶だ。作家・辺見庸はこの未曾有の惨劇に触発され、言葉の限界に挑むかのように小説『月』を執筆した。生と死、人間の尊厳、そして社会の底底に潜む無関心。その重圧あふれる原稿に向き合ったのが、気鋭の監督・石井裕也である。
石井監督は、単なる事件のなぞり描きを注意深く避けた。映像化にあたり求めたのは、犯行に至る歪んだ倫理観がどのようにして個人の精神を蝕んでいくかという「プロセスの解剖」だ。過激な描写に頼るのではなく、静かな会話劇の中に潜む不穏な熱量を緻密に積み上げる手法を選択。狂気と正気の境界線が徐々に溶け出していく恐怖を、息をのむ精度でスクリーンへ定着させた。