大物政治家の多くが子供に地盤(後援会)・看板(知名度)・鞄(資金)を譲るなか、なぜ野中氏は自らの息子や娘、孫に跡を継がせなかったのでしょうか。その最大の理由は、野中広務氏自身の出自と「反・世襲政治」の強い哲学にあります。
野中氏は国鉄職員から身を起こし、園部町議、町長、京都府議、京都府副知事を経て57歳で国政へ進出した「叩き上げの苦労人」でした。恵まれた家庭環境から無条件で議席を引き継ぐ世襲議員たちに対し、野中氏は生前、以下のような辛口の苦言を幾度となく呈していました。
「苦労も知らず、地元の泥臭い声も聞かずに育った世襲議員が国を動かすようになれば、自民党は国民の痛みがわからない政党になってしまう」
この強固な信念があったからこそ、自身の引退時にも親族を後継に指名せず、京都の後援会組織を親族の私物にする道を完全に遮断したのです。