初期の輝かしい実績の一方で、ネットの検索窓やSNS上では長年「SDN48移籍理由は左遷だったのか」「AKBを事実上クビになったのではないか」という穿った見方が取り沙汰されてきました。しかし、関係者の証言や当時のグループ運営体制を冷静に分析すると、その実態はネガティブな処分などではなく「新グループ立ち上げのための戦略的リーダー抜擢」であったことがわかります。
転機が訪れたのは2009年。秋元康氏プロデュースのもと、20歳以上のメンバーで構成される深夜公演主体の大人系グループ「SDN48」が発足しました。当時すでに25歳を迎えていた野呂佳代は、急速に若年化・低年齢化が進んでいたAKB48本体のなかで、トークや舞台回しにおける抜群の安定感を発揮していました。白羽の矢が立った彼女は、2009年8月にSDN48との兼任を開始し、2010年2月21日の劇場公演をもってAKB48を完全卒業、SDN48の初代キャプテンに就任することになります。
公の場で見せた当時のインタビューにおいて、本人は次のように心情を吐露しています。「当時は『なぜ自分がAKB本体を離れなければならないのか』という葛藤や、後輩たちがブレイクしていく姿への悔しさがなかったと言えば嘘になる」。しかし現場スタッフが求めたのは、奔放なメンバーたちをまとめ上げ、未解拓の深夜エンターテインメントをゼロから成功に導く野呂佳代の統率力でした。結果として彼女はSDN48の全シングルで選抜入りを果たし、2012年3月のグループ全員卒業まで、責任感を持ってグループの顔を務め上げました。つまり「AKB卒業理由」とは、切り捨てではなく重責を託されたプロフェッショナルとしての転任だったのです。