事件の背後にある動機をめぐっては、古くから多様な仮説が飛び交ってきた。一般に知られる最も有名な説は、大徳寺の金毛閣(二重門)に設置された千利休の木像だ。門を通る秀吉が「利休の足下を潜ることになる」と激怒したというエピソードは有名だが、これは表面的な口休めに過ぎなかったというのが現在の通説である。
秀吉が危惧したのは、茶道という文化装置を通じた利休の絶大な影響力だった。利休は単なる茶人にとどまらず、全国の武将たちが集う茶会を差配し、時に大名同士の和平工作や政治交渉を取り仕切る「茶の湯の黒幕」でもあった。秀吉の狂気というよりは、あまりに巨大化しすぎた民間政治力への警戒感が、悲劇的な決断を下させた最大の決定打となったのである。