出獄後の1905年、秋水は思想的な活路を求めて渡米します。当時のアメリカで台頭していた急進的な労働運動やアナーキストたちとの交流は、彼の思想に決定的な転換をもたらしました。
普通選挙運動や議会を通じた合法的改革に限界を感じた秋水は、国家権力そのものを否定し、労働者のゼネラルストライキによる社会革命を目指す無政府主義(アナーキズム)へと傾斜していきます。帰国後に彼が提唱した「直接行動論」は、議会政策を重視する堺利彦ら穏健派との間に深刻な路線対立を生み、日本の社会主義運動そのものを二分することになりました。