1567年、斎藤氏との激闘であった稲葉山城の戦いを制した織田信長は、この地の名称を「井ノ口」から変更した。これが歴史に名高い岐阜改称の瞬間である。信長が着目したのは、古代中国の史書に刻まれた二つの聖地だった。
一つ目の「岐」は、周の文王が立ち上がり八百年の治世の礎を築いた「岐山(きざん)」に由来する。王道政治の始まりを告げる吉兆の地だ。そして二つ目の「阜」は、儒教の開祖・孔子が生まれたとされる学問と平和の聖地「曲阜(きょくふ)」から採られた。武力による覇道ではなく、徳をもって天下を治めるという理想が、この二つの漢字の組み合わせに秘められていたのである。
長年、単なる信長の直感的な思いつきと捉えられがちだったこの命名だが、その背景には周王朝の成立になぞらえた壮大な「天下布武」のアピールが存在した。戦国の乱世を終わらせ、新たな秩序を構築するという固い決意が、二文字の漢字に込められていたことが近年の研究でも強調されている。