徳島高校野球の歴史を語る上で、名将・蔦文也 監督 経歴とその戦術的革新を抜きにすることはできません。元プロ野球選手でありながら、山間の過疎地にあった池田高校に赴任した蔦監督は、当初部員わずか11人で甲子園準優勝を果たした「さわやかイレブン」(1974年春)で旋風を巻き起こしました。
池田高校の快挙は単なる美談ではありませんでした。そこには綿密な計算と、高校野球界の常識を覆す合理主義が存在していたのです。報道各社の過去インタビューや自著・手記によると、蔦監督は「山奥の子供たちが都会のエリート私学に勝つには、バントで刻むスモールベースボールでは追いつかない。一振りで局面を変える筋力と打力しかない」と確信していました。当時としては異例の本格的ウエイトトレーニングをいち早く導入し、丸太を振り、徹底的に身体を鍛え上げた結果生まれたのが、あの「やまびこ打線」です。
1982年夏の甲子園初制覇、そして翌1983年春の選抜制覇による「夏春連覇」。エースであり主砲であった畠山準や水野雄仁らを擁した池田は、まさに高校野球界のパワーゲームの開拓者でした。当時の対戦校捕手が「打球の音が他の学校とまるで違い、金属バットが悲鳴を上げているようだった」と振り返るほど、その破壊力は圧倒的でした。
一方で、池田以前に徳島の礎を築いたのが徳島商業 甲子園 優勝 理由として語り継がれる1947年春のセンバツ制覇です。終戦直後の混乱期、名将・須本憲一監督のもとで磨き抜かれた走塁技術と、極限まで無駄を削ぎ落としたチームプレーは、その後の徳島野球に流れる「野球IQの高さ」の源流となりました。さらに1958年夏には板東英二投手を擁して準優勝。板東投手が記録した1大会83奪三振は、今なお破られていない不滅の大記録として刻まれています。