2003年春、写真週刊誌のスクープが芸能界に衝撃を与えた。当時、徳永アナウンサーには同局のディレクターである夫がおり、内村との交際は「不倫・略奪愛」としてメディアに大々的に報じられたのだ。連日ワイドショーが追いかけ、世間からの激しい風当たりが二人を直撃した。
事態を重く見たテレビ朝日は、徳永を担当番組から即座に降板させた。さらに、看板番組を持っていた内村に対してもテレビ朝日は厳しい姿勢を取り、長年貢献してきた彼の冠番組も終了へと向かう。当時、所属事務所のマセキ芸能社も対応に追われ、業界内では「内村のキャリアは終わった」と囁かれるほどだった。
だが、内村光良は逃げなかった。記者会見や取材の場でも言い訳をせず、自らの非を認めつつも、決して徳永の手を離そうとはしなかった。徳永はテレビ朝日を退社して一度表舞台から完全に姿を消し、内村もまたテレビのレギュラーが激減する苦境に立たされたが、二人の覚悟は揺るがなかった。