田老地区の防災の歴史は、幾度となく繰り返されてきた津波との壮絶な闘いの歴史そのものです。1896年の明治三陸地震津波では人口の約8割にあたる1,859名が犠牲となり、1933年の昭和三陸地震津波でも911名が命を落とすなど、集落は二度にわたって壊滅的な打撃を受けました。
度重なる悲劇を断ち切るため、当時の田老村は1934年に前代未聞の防潮堤建設を決断します。「万里の長城」と呼ばれる巨大防護壁の誕生です。1958年に第1期工事が完了し、その後も増設を重ねて高さ10メートル・基底幅約25メートル・総延長約2,433メートルという世界最大級のスケールへと拡張されました。
田老の防潮堤が特徴的だったのは、海岸線と平行に走る堤防だけでなく、市街地を囲むように配置された「X型防潮堤」と呼ばれる独特の二重構造を採用していた点です。万が一、海側の防潮堤を津波が乗り越えても、内側の堤防が市街地への浸水を食い止める設計となっていました。1960年のチリ地震津波では、三陸沿岸の多くの地域が被災する中、田老町はこの防潮堤によって被害をほぼ皆無に抑え込み、その堅牢さは「津波太郎」から「防災の町・田老」への完全な脱皮として世界的な防災モデルに位置付けられました。