藤田紀子の原点は、松竹の専属女優として活動した銀幕の世界にあります。1960年代後半、映画やテレビドラマで清純派から妖艶な役柄まで幅広くこなし、若い頃の画像を見ても当時の女優陣の中で際立つスタイルと端正な顔立ちを誇っていました。
転機となったのは1970年、当時大関として絶大な人気を誇っていた初代貴ノ花(花田満氏)との結婚です。芸能界をスパッと引退し、相撲界の伝統的な世界へ飛び込んだ彼女は、名門・二子山部屋のおかみとして弟子たちの食事やメンタルケア、タニマチとの折衝を一身に背負うことになります。前例のない「女優出身の美人おかみ」として相撲界の近代化に貢献した功績は、関係者の間でも極めて高く評価されていました。
彼女の歩みを語る上で見逃せないのが、名前の表記変更です。長らく本名および芸名として「藤田憲子」名義で親しまれていましたが、2008年末に「藤田紀子」へと改名しました。この改名の背景には、離婚や相撲部屋の解散、家族間の対立といった波乱万丈な半生を一度リセットし、運気の上昇と心機一転を図る目的があったと当時のインタビューで語られています。自らのアイデンティティを再定義するための決断でした。