主人公・大庭葉蔵の経歴は、太宰治(本名:津島修治)自身の生い立ちと極めて高い一致を見せています。青森県北津軽郡金木村(現・五所川原市)の屈指の大地主・衆議院議員であった津島家に生まれ、乳母や女中に育てられた幼少期、東京帝国大学仏文科への進学と中退、共産主義運動への傾倒、銀座のバー給仕・田部シメ子との鎌倉小動崎での心中未遂(女性のみ死亡)、パビナール(鎮痛剤)中毒と東京武蔵野病院への収容など、手記の主要なエピソードは太宰の実体験そのものです。
しかし、文芸研究や書簡の検証によると、本作は単なる赤裸々な告白録ではなく、「私小説の皮を被った緻密なフィクション」として構成されています。実人生における太宰は、周囲に気配りを見せ、文壇の仲間と活発に交話し、家族を養う職業作家としての自意識を強く持っていました。つまり葉蔵とは、太宰が自身の内面深くに巣食う弱さ、恥、怯えを極限まで純粋培養して抽出した「もう一つの分身」だったのです。
本作の完成直後、太宰治は1948年6月13日深夜、愛人の山崎富栄とともに東京都三鷹市の玉川上水へ投身自殺(入水自殺)を図りました。遺体が発見されたのは6日後の6月19日、奇しくも太宰の39歳の誕生日(後の「桜桃忌」)でした。新聞連載中だった未完の小説『グッド・バイ』を遺しての死であり、『人間失格』は太宰が完成させた実質的な「遺作」となりました。遺書には妻・美知子へ宛てた「誰よりも愛して居りました」という言葉とともに、作家としての命を削り尽くした疲弊が滲み出ており、本作は太宰が自らの文学的命運を賭けて人間性の深淵を総括したモニュメントとなったのです。