パブリックイメージにおける幸之助は、柔和な笑みを浮かべ、穏やかに人生を語る好々爺として記憶されがちです。しかし、実際のビジネス現場での彼は、「妥協を一切許さない凄まじい厳格さ」と「底知れぬ温かさ」を併せ持つ激情の人でした。
当時の幹部社員の手記や退職者の回顧録によると、商品開発の甘さや理念に反する行動を見つけた際、幸之助は「火の出るような大雷」を落としたと伝えられています。書類を突き返し、何時間も立たせたまま激怒することは日常茶飯事でした。しかし、叱責が終わると表情を一変させ、「君、疲れたやろ。お茶でも飲んでいきなはれ」と自ら湯呑みを差し出し、タクシー代を持たせて帰宅させたという逸話が数多く残っています。
また、幸之助の人間性を象徴するのが「衆知を集める」という徹底した傾聴姿勢です。小学校中退で学歴がないことを自覚していた彼は、新入社員や工場の若手、さらには来客の運転手に至るまで、「君はどう思う?」「わしには分からんから教えてくれ」と真剣に意見を求めました。相手が誰であれ頭を下げて教えを乞うその謙虚さに、周囲の人間は「この人のために全力を尽くそう」と心を動かされたのです。
そして、幸之助の人生を語る上で欠かせないのが妻・むめのの存在です。創業期、資金繰りに行き詰まった際には自身の嫁入り道具を質屋に入れ、文句一つ言わずに工員たちの食事の世話や経理を切り盛りしました。社員からは「お母さん」と慕われ、幸之助の激しい気性を時に宥め、時に叱咤激励したむめのは、実質的な「共同創業者」として松下の屋台骨を支え続けました。