水前寺清子さんの若い頃のキャリアは、日本の高度経済成長期と見事に重なり合っています。1964年(昭和39年)、東京オリンピックが開催された記念すべき年に『涙を抱いた渡り鳥』で鮮烈なデビューを飾り、着流し姿で勇ましく歌う「いっぽんどっこの唄」などで一躍トップスターの座へ駆け上がりました。
1968年にリリースされた『三百六十五歩のマーチ』は、ミリオンセラーを記録。「ワン・ツー、ワン・ツー」のリズムに合わせて日本中が前を向いて歩き出したこの曲は、単なる歌謡曲の枠を超えて昭和の国民的アンセムとなりました。さらに、1965年から『NHK紅白歌合戦』に22年連続出場を果たし、紅組司会も通算4回務めるなど、歌謡界の頂点に君臨し続けました。
彼女の才能は歌にとどまらず、プロデューサーの石井ふく子氏に見出されて主演を務めたTBS系ドラマ『ありがとう』(1970年〜1974年)で爆発的な社会現象を巻き起こします。看護婦編や婦人警官編など、下町の温かい人間模様を描いた本作は、第2シリーズ(看護婦編)で最高視聴率56.3%(ビデオリサーチ調べ・関東地区)という、日本の民放テレビドラマ史上歴代最高視聴率を叩き出しました。