東大を卒業した先にある「官僚や上場企業の幹部候補」という安泰のレールを降り、なぜ彼らは不安定極まりない音楽の世界へと足を踏み入れたのでしょうか。過去のインタビュー手記や関係者への取材から見えてくるのは、予定調和への居心地の悪さと、理性を超えて湧き上がる創作衝動です。
キタニタツヤの経歴を紐解くと、都立西高校から東大文学部へ進学しながらも、すでに高校時代からバンド活動に熱中し、大学進学後はボカロPとしてネットシーンへ楽曲を投下していました。当時の特番インタビューにおいて彼は、大学で美学や芸術学の理論を体系的に学んだことで「物事を構造的に捉える癖がついた」と語る一方、学歴という既成の権威に依存することを強く拒んできた事実が窺えます。彼にとって東大は就職のための手段ではなく、表現の本質を探求するための知的なトレーニング場でした。
一方、小沢健二は文学部英文科で学んだ言語感覚を、極上のポップミュージックへと昇華させました。学者や文化人を多数輩出する家庭環境に育ちながらも、英国のニューウェイヴやインディーズ音楽に傾倒し、大学在学中にフリッパーズ・ギターとしてデビュー。知性至上主義をあえて軽妙な言葉遊びへと脱構築した歌詞世界は、既存のエリート像に対する軽やかなアイロニーでもありました。
さらに時代を遡れば、学生運動が吹き荒れる1960年代の東大に在籍した加藤登紀子が存在します。西洋史学科で激動の社会構造を学びながら、自らの声で時代と対峙することを選んだ彼女は、「歌うことは生きることそのものの表現だった」と自著で述懐しています。また、法学部を卒業後に旧第一勧業銀行の支店長まで務め上げた小椋佳は、平日は融資業務、週末や移動時間に作詞作曲を行うという驚異的な二足の草鞋を履き続けました。彼らに共通しているのは、学歴を「保険」として利用する打算ではなく、知の探求を経てなお抑えきれなかった表現者としての業です。