この地にまつわる禁忌の起源には、いくつかの有力な説が存在する。とりわけ有名なのが、水戸藩主として知られる徳川光倕にまつわる伝承だ。好奇心から藪に踏み入った彼が、妖怪や神霊の立ち塞がりによって迷い込み、ほうほうの体で脱出したという逸話は広く語り継がれている。この経験を経て、光倕自らが立ち入り禁止の立て札を設置させたとの説も実やかに伝えられてきた。
一方で、さらに深い歴史の陰謀を指し示すのが平将門の怨念説だ。将門が起こした承平天慶の乱において、彼の陣営の首塚や死霊が集う場所、あるいは将門の臣下が化身して藪となったという言い伝えが残る。敵兵を阻むための防衛陣地だったという説や、怨霊を鎮めるための神聖な領域だったという解釈もあり、武士たちの怨念が足を踏み入れる者を狂わせると恐れられてきた歴史的経緯が存在する。