1989年、テレビ界に大きな激震が走った。花形アナウンサーとして絶頂期にあった男が、安定した局アナの肩書を捨てて独立を宣言したからだ。周囲からは暴挙とも囁かれたが、胸の中にあったのは「自分の力でどこまで試せるか」という純粋な欲望だった。
退職後に立ち上げた芸能プロダクション「生島企画室」の船出は、決して平坦ではなかった。バブル崩壊の煽りを受け、巨額の負債を抱えるという絶望的な局面に直面したこともある。返済のために奔走し、寝る間も惜しんであらゆる仕事をこなした。しかし、諦めなかった。どん底を味わったからこそ、タレントやスタッフのありがたみが身に染みたという。泥臭い努力を積み重ね、自らの事務所を着実に成長させていった。