千年以上も一体化し、人々の暮らしに溶け込んでいた神社と寺院。この絆を暴力的に断ち切ったのが、1868年(慶応4年/明治元年)に発令された「神仏分離令」です。明治維新という巨大な政治転換が、その引き金を引きました。
徳川幕府を倒した新政府は、欧米列強に対抗すべく天皇を中心とする強力な中央集権国家を急造する必要がありました。そこで持ち出されたのが、古代の律令国家が掲げていた「祭政一致(政治と祭祀の統合)」の理念です。政府は神道を事実上の「国教(国家神道)」として位置づけ、天皇の権威の正当性を古代神話に求めました。
その際、寺請制度などで幕府権力と癒着していた仏教勢力は邪魔な存在であり、神道に混ざり込んだ仏教的要素は「純粋な国体を汚す異物」とみなされたのです。政府は神社から僧侶を追い出し、仏像や仏具、経典を取り除くよう命じました。
新政府の意図は本来「分けること」にありましたが、これが民衆や過激な神職層に歪んで伝わり、全国で「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)」の狂瀾が巻き起こります。寺院の焼き討ち、仏像の首の切断、貴重な寺宝の破壊や海外流出が相次ぎ、多くの歴史的遺産が灰燼に帰しました。千年の共存関係は、国家の政治的思惑によって一瞬にして瓦解させられたのです。