上地雄輔さんの生い立ちを語る上で絶対に外せないのが、名門・横浜高校野球部での日々です。幼少期から野球の才能を発揮していた上地さんは、リトルリーグ時代から全国レベルで活躍。鳴り物入りで横浜高校へ進学し、捕手(キャッチャー)としてチームを牽引しました。
同級生には、のちに「平成の怪物」と呼ばれることになる松坂大輔投手がおり、バッテリーを組んでいたことは有名な話です。強豪校の過酷な練習を乗り切るため、実家では母親が栄養バランスを考え抜いた特大の弁当を毎日用意し、父親も多忙な合間を縫って息子の試合に駆けつけました。
高校2年生の秋、試合中に右肘の靭帯を断裂する大怪我に見舞われ、正捕手の座を後輩に譲る挫折を味わった上地さん。絶望の淵に立たされた息子を誰よりも近くで励まし、精神的に支えたのが横須賀の実家で待つ家族でした。この挫折と家族の支えがあったからこそ、現在の不屈の精神と人間的な温かみが形成されたといえます。