1901年、イギリスの植民地から独立してオーストラリア連邦が発足した際、最大の懸案事項となったのが「どこを首都にするか」という問題だった。当時、経済と人口の双璧をなしていたシドニーとメルボルンは、譲れない自尊心をかけて猛烈な首都誘致合戦を展開した。互いに一歩も引かず、議論は完全に空転。国家統合の出だしから、深刻な対立が表面化する事態となった。
泥沼の対立を断ち切るために絞り出されたウルトラCが、「どちらの都市でもない新しい場所に首都を造る」という政治的大妥協だ。憲法には『首都はシドニーから100マイル以上離れ、かつニューサウスウェールズ州内に置く』という条項が盛り込まれた。こうして両都市のほぼ中間に位置する広大な原野が選ばれ、現在の首都特別地域(ACT)に眠るキャンベラの歴史が動き出したのである。