森進一が弟の医学部進学を支えた背景には、想像を絶する生い立ちの苦労と過酷な家族の歴史があります。森進一の生家は、幼少期に父親が不倫の末に家族を捨てて家を出ていくという家庭崩壊に見舞われました。母親、妹、弟、そして長男である森進一の4人家族は困窮を極め、一時期は生活保護を受給しながら日々の食事にも事欠く極貧生活を余儀なくされました。
一家の長男である森進一は、高校進学を断念して中学卒業後に集団就職で上京。クリーニング店や寿司店などで朝から晩まで働き、仕送りで家族の生計を支えました。その後、1966年にシングル『女のためいき』で鮮烈なデビューを果たし、スターダムへ駆け上がった後も、自分の贅沢のためではなく、一家の生活再建と弟妹の教育のために惜しみなく資金を注ぎ込みました。
私立大学医学部の6年間の学費および寄付金や生活費は、昭和の物価水準においても3,000万円から5,000万円以上に達する莫大な金額でした。ヒット曲を連発していたとはいえ、過密スケジュールの中で稼いだギャランティの多くを弟の学費や家族の生活維持に充てた森進一の行動は、単なる兄弟愛の域を超えた深い責任感によるものでした。