1966年、「女のためいき」でデビューするや否や、森進一は爆発的なヒットを記録する。しかし、彼が手にした巨額のギャランティは、派手な私生活に使われることはなかった。その使い道の多くは、弟の学費へと充てられた。
当時、私立大学の医学部に通うためには、現代とは比較にならないほどの莫大な費用が必要だった。森は「弟には自分のような苦労をさせたくない」「学問の道で一流になってほしい」という一心で、過酷なスケジュールをこなし、ステージで声を枯らし続けた。喉から血が出るような過密日程も、弟の未来のためだと思えば耐えられたと、後に本人が述懐している。